サンクト・ペテルブルクツアーの観光スポット
市の中心にある広場で冬宮の前にあり、中央部には1812年ナポレオンに対する戦勝記念のアレクサンドル塔があります。1832 ~34年に作られ、高さは4.5メートルあります。冬宮と向かい合って旧参謀本部の建物が弧を描いて建ち、その正面の入口は、やはり戦勝記念の凱旋門となっています。この広場は、1905年の「血の日曜日」事件や十月革命などの歴史の舞台となったところです。
ネヴァ川の左岸に立つ建物で、ピョートル大帝創立のロシア海軍の中核として1704年から建築が開始され、1823年今日の形に完成されました。ロシア古典主義様式の代表作のひとつといわれており、現在はバルチック艦隊司令部など海軍の重要機関があります。アドミラルティ(旧海軍省)の南側にある広場はアドミラルティ庭園で、噴水とゴーゴリ、レールモントフ、グリンガなどの像が立っています。
アドミラルティの西側で、革命前元老院があったため元老院広場と呼ばれていました。1825年、デカブリスト蜂起失敗の悲劇がこの広場で起こったことを記念して、デカブリスト広場と改名されました。現在は元の名前に戻されましたが、相変わらずデカブリスト広場と呼ばれています。
広場には、ピョートル大帝の青銅の騎士像があり、これは18世紀後半エカチェリーナ2世によって建てられたものです。後足で大蛇を踏み、前足を高く上げた荒馬に跨がる銅像の台石は1600トンもある花崗岩でできています。
血の上の教会と共に旧市街の中心部に位置しており『サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群』として世界遺産に指定されている「聖イサク大聖堂」。デカブリスト広場の南側にある寺院で、高さ102m、面積が800平方メートルを誇る19世紀最大の建築物です。中央に巨大なドームがあり、四方に小ドームを配し、上から見ると十字になるロシア・ビザンチン建築様式で、聖堂を取り囲む柱廊に立つ48本の大きな円柱が非常に印象的です。この円柱は、なんと一本114トンもあります!43種類の鉱物を使って建てられ、内部の装飾やモザイクを使ったイコン(聖像画)が美しく、大ドームの展望台からの街並みやフィンランド湾の見晴らしは格別です。展望台は別料金で登ることが出来ます。
カザン大聖堂はネフスキー大通りに面し両腕を延ばしたような長い回廊をもっています。グリボエドフ運河の手前にあるカザン広場に、ヴァチカンの・サンピエトロ寺院を模したネオ・クラシック風の寺院です。1801年にボローニンの設計により建設されたもので、コリント式の136の列柱のある半円形の回廊をめぐらしています。パーベル1世の希望によりロシア正教では馬頭悪しいカトリック風の回廊をもつ聖堂となりました。内部は、聖堂というよりは宮殿のホールの趣があります。北側の翼廊にはクトゥーゾフ将軍の墓所があります。現在多くの信者が祈りを捧げに訪れている。聖堂内では写真撮影は不可。周囲の迷惑にならないように見学しましょう。
デカブリスト広場のアドミラルティ(旧海軍省)からモスクワ駅のある蜂起広場まで一直線に延び、そこで方向を転じてアレクサンドル・ネフスキー修道院まで達する全長約5kmの、ペテルブルクのメイン・ストリートです。ゴーゴリ、ドストエフスキー等のロシア文学作品にしばしば登場する名所です。観光・高級ホテル・レストラン・ショッピングなど。すべての点でペテルブルクの中心となる通りです。見どころも多くこの通りの周辺に集まっています。
この教会は1907年、建築家パルランドにより立てられた寺院でモスクワの聖ワシリー寺院を再現したようなカラフルなネギ坊主が特徴です。1881年、アレクサンドル2世は「人民の意思党員」によって暗殺された、彼の息子であるアレクサンドル3世の命により、暗殺が行われた場所の上にこの教会が建てられ、「血の流された上に建つ救世主教会」と呼ばれました。1997年に長期間の修復工事が終わり、一般開放されています。そしてなんといってもこの教会の見どころは308点にも及ぶ見事なモザイクのイコン画で埋め尽くされた豪華な内装です。全面に施されていてロシア装飾建築の最高傑作とも称されるのも納得です。外観はモスクワの赤の広場に建つワシリー寺院に似た、ロシアの伝統的な教会様式。
サンクトペテルブルクの教会建物としては最も重要なもので、必見の観光スポットといえるでしょうグリボエドフ運河の手前にあるカザン広場に、ローマ・サンピエトロ寺院を模したネオ・クラシック風の寺院です。1801年にボローニンの設計により建設されたもので、コリント式の136の列柱のある半円形の回廊をめぐらしています。内部は、教会というよりは宮殿のホールの趣があります。北側の翼廊にはクトゥーゾフ将軍の墓所があります。
建物自体が世界遺産であり、世界三大美術館の一つに数えられる「エルミタージュ美術館」。サンクト・ペテルブルクを訪れる人が必ずと言っていいほど、足を運ぶスポットです。エルミタージュ美術館は、宮殿として実際にエカテリーナ2世をはじめとするロシア皇帝が住んでいました。『エルミタージュ美術館』は世界三大ミュージアムとともに世界三大宮殿のひとつとされている所以です。エルミタージュを構成するのは『冬宮』『小エルミタージュ』『旧エルミタージュ』『新エルミタージュ』『劇場エルミタージュ』の五つの建物です。19世紀から約百年完成までにかかりました。200年以上の歴史をもつエルミタージュは、現在所蔵品数300万点を越え、パリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、ニューヨークのメトロポリタン美術館などと並ぶ世界最大の美術博物館の一つです。1764年、時の女帝エカチェリーナ2世はベルリンから225点の絵を購入し、冬宮に絵画展覧用の建物を作り、エルミタージュ(「隠棲所」の意・フランス語)と名付けました。これが、この美術館の始まりです。「エルミタージュの宝物を鑑賞しているのは鼠と私だけ」と友人に宛てた手紙にあるほど、限られた人しかこのコレクションを見ることはできませんでした。収集品の増加とともに、エルミタージュは幾度も増築されました。現在のバロック様式の冬宮は、1754年エカチェリーナ2世の命令でラストレリが建築の注文を受けたもので、その後1837年に内部の装飾をクラシック様式に変えられました。小エルミタージュは、エカチェリーナ2世の絵の展覧室として建てられ、旧エルミタージュも彼女の時代に建てられました。新エルミタージュは、最後の皇帝だったニコライ2世とその増えつづけるコレクションのために建てられました。そして1852年、一般に公開されたのです。
社会主義十月革命後、これらの芸術品は全て国のものとされましたが、スターリンは外貨獲得のためレンブラントの作品を含む貴重な作品を売ってしまいました。また、モスクワの資本家だったシチューキンやモロゾフの印象派、ポスト印象派の作品の多くを1948年に国有化しました。大理石の敷きつめられた床や柱、水晶のきらめく大シャンデリア群を持つ大ホール、階段、金箔の豪華な装飾と細やかなレリーフの壁に包まれた部屋、そこここに置かれた世界でも珍しい貴石や宝石をちりばめた家具、調度品など訪れる人々は宮殿の豪華さに感嘆の声をあげることでしょう。
まず冬宮を中心とする王家の各部屋をまわり、宮殿装飾を楽しむのがおすすめです。総収蔵品は約300万点とされるため、全てを詳しく見るのは難しいです。少し余裕をもって見るにも数日間が必要です。エルミタージュ美術館については現地発着オプショナルツアーをお勧めいたします。入場するのに時間がかからず、見るべきポイントを見ることが出来ます。
個人で観光する場合には展示室や収蔵品が膨大なため、行きあたりばったりでは訳がわからなくなり、気力体力を消耗し一部分しか見ることが出来ませんのである程度の予習が必要です。とても入り組んだ構造になっているため、パリのルーブル美術館以上に迷いやすくなっています。必ず館内地図を参照しながら進み、もし迷ったら「大使の階段」に戻りましょう。1階にしかないトイレとカフェの位置も確認しておきましょう。またコート類はクロークに預けなければなりません。またカバン類についても持ち込みが出来るサイズが決められています。大きなものはクロークに預けなければなりません。写真撮影は可能ですが、フラッシュと三脚は禁止です。
2015年から印象派以降の絵画は、別館に移動しています。宮殿広場を挟んだ向かいにある旧参謀本部ビル内にあり、いったん本館を出る必要があります。少し距離がありますので、近代西欧絵画をじっくり見たい方は、本館とは別に日を改めて行ったほうが良いでしょう。
さらに、人数限定の予約と別料金が必要な特別秘宝室として、古代スキタイ民族の素晴らしい黄金工芸品を中心とした「ゴールデンルーム」と、エカテリーナ2世の宝石類が魅力の「ダイヤモンドルーム」があります。いずれも、特別な専門ガイドによる少人数案内となり、撮影禁止で各一時間程かかります。事前予約が必要になりますのでご希望の方はオプショナルツアーでご予約されることをお勧めします。
ロシア美術館は、ロシア・旧ソビエトの絵画と彫刻を集めている美術館で、1895年に創設されました。革命前は小規模でしたが、1917年以降ソ連政府の計画的収集努力により、ロシア美術史の包括的縮図を示すというその役割にふさわしい27万点のコレクションをもつに至りました。
帝政末期の宝石商であったカール・ファベルジェの作品を展示する美術館です。美術館は宝飾品や金銀細工・陶磁器など約4000点を所蔵していますが、なかでもファベルジェがアレクサンドル3世およびニコライ2世のために制作したインペリアル・イースタエッグは必見です。ニコライ2世が妻であるアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后に送ったアールヌーヴォー様式の『すずらん』他優美なイースタエックが9点展示されている。
ネヴァ側の河畔、エルミタージュ美術館側から見えるひときわ美しい城塞と尖塔。18世紀初頭、ピョートル大帝の命でスウェーデン軍の侵略から市を守るために作られた要塞ですが、18世紀の半ばから政治犯の監獄として使われるようになりました。ラジシチェフ・デカブリストたち・ドストエフスキー・レーニンの兄が収監されました。現在、要塞はサンクトペテルブルクの歴史博物館の中心施設となっており、要塞内にいくつもの展示施設があります。『ペトロパブロフスク聖堂』はピョートル大帝等ロマノフ王朝歴代ツァーリの棺があります。こちらは必見です。その他司令官の館や監獄・ペトロパブロフスク要塞博物館、宇宙とロケットの博物館の5つの施設が共通入場券で見学が可能です。ペトロパブロフスク要塞は日本語ガイドから詳しく説明を受けながら見学をする方が楽しいです。
市の中心から西へ30km、フィンランド湾に面したところにあるピョートル大帝の夏の宮殿です。かつてはペテルゴフの名で知られていました。1714年の北方戦争の戦勝記念として建てられたのですが、宮殿と庭園は豪華そのもので、とくに庭園正面に金色に輝くサムソンの大噴水階段をはじめ、150に近いさまざまな趣向をこらした噴水は訪れる人を魅了しています。「ペテルゴフ(夏の宮殿)」はロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルクの郊外にあり、18世紀にピョートル大帝が建設した夏の離宮です。
大宮殿と数多くの噴水がある広大な庭園は「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」として世界遺産に登録されています。夏の宮殿をはじめ、金色に輝く像が建ち並ぶ豪華な噴水など、見どころは満載です!サンクトペテルブルクから高速艇で行くことができ、所要時間は30分ほど。高速艇の乗り場は、エルミタージュ美術館前にあります。エルミタージュ美術館とあわせて、是非訪れたいお勧めポイントです。
ピョートル宮殿のあるペテルゴフとともにロマノフ王朝の歴代皇帝に愛され阿多『皇帝の村』ツァールスコエ・セローはペテルブルク市の南約25kmのところにあります。ここは18世紀初めから1917年2月までツァールスコエ・セロー(皇帝の村の意味)と呼ばれ、歴代ツァーリの夏の宮殿がありました。
宮殿は1750年代に建てられたロシアの代表的なバロック建築で、現在は博物館になっています。宮殿はここを最も愛用したエカチェリーナ1世の名を冠しています。その後、ピョートル大帝とエカテリーナ1世の娘エリザヴェータが即位すると、イタリア人の建築家を招き、宮殿は現在のようなバロック様式へと改築されました。
エカテリーナ宮殿は内部を琥珀で覆いつくした「琥珀の間」や日本ではかの大黒屋光太夫が訪れ帰国をお願いしたといわれている『謁見の間』があまりにも有名。「琥珀の間」は第二次世界大戦でナチス・ドイツに奪われ、琥珀は今も行方がわかりません。現在の琥珀の間は2003年、サンクトペテルブルグ建都300年記念に合わせて再現されたもの。着工から実に24年の歳月をかけて作られました。伝説となっていた「琥珀の間」が再現されたことにより世界中から観光客があつまる人気スポットとなりました。『謁見の間』は金箔を貼った彫刻と鏡がはりめぐらされた絢爛豪華な大広間。1791年、伊勢の商人でロシアに漂着した大黒屋光太夫はこの広間でエカテリーナ2世に謁見、帰国を願い出て許されました。夏の宮殿として建てられたエカテリーナ宮殿は窓が多く、ガラスがふんだんに使われていて中はどの部屋もとても明るい印象を受けます。華麗な内装と豪華な調度品で満たされた宮殿の内部は、まさにロシア帝国の栄華を体感できる場所です。
夏季の観光シーズンは見学客が殺到し、団体客が優先されます。エカテリーナ宮殿観光は事前にオプショナルツアーにお申込みされることをお勧めします。